哲学とはなにか・その2




前回の記事:「哲学とはなにか・その1」では、バートランド・ラッセル『哲学入門』の一節を引用しながら、西洋哲学の場では、「私たち一人一人の人生の根幹にかかわること」について、膨大な年月にわたり考えられてきたということを記しました。

「哲学とはなにか」という結論は得られない!?

では、先の記事の最後に記したように、大勢の哲学者・思想家たちが、膨大な年月をかけて積み重ねた思索の結果、哲学は「私たち一人一人の人生の根幹にかかわる」ものとして「これだ!」と言いえる結論、つまり「哲学とはこれだ!」という知識ともいえる結論は得られたのでしょうか。

これは、ほとんど得られなかった、といっても過言ではありません。

というのは、それがどんな主題であれ、正しい結論なり知識なりを得られた瞬間に、それは「哲学」とは呼ばれなくなり、個別具体的な「学問」や「分野・ジャンル」になってしまうからです。

前回同様に『哲学入門』からバートランド・ラッセルの言を借りると、次のように述べられています。


「それはどんな主題についてであれ、知識だと確定した成果が得られるようになると、とたんにそれは「哲学」とは呼ばれなくなり、独立した一個別科学になる、という事実である。
たとえば天体についての全研究はいまでは天文学に属するが、かつては哲学に含まれていた。ニュートンの偉大な著作は、「自然哲学の数学的諸原理」と題されていたのである。同様に人間の心の研究は哲学の一部だったが、いまや哲学から独立し、心理学という科学になっている。
だから哲学が不確定なものに思われるとしても、それはかなりのところそう見えるだけであって、的を射たものではない。すでにはっきりと答えられるようになった問題の居場所は科学の中にあり、いまのところまだそうなっていない残りの問題だけが、「哲学」と呼ばれているのである。」
(バートランド・ラッセル『哲学入門』 高村訳、ちくま学芸文庫/188ページ)


上記のことから、哲学にとっては少し意地の悪い見方になりますが、哲学から派生した個別具体化した学問や分野が、その中で見出される発見や発明によって、無数の人たちの生活に役立っていくのに対して、哲学はそういうように目に見える形で役に立つことではない、ということになるのでしょうか。

つまり、次のように言われてしまうのでしょうか。


「「哲学が何をするのだとしても、それは無害とはいえ、ただの骨折りではないか。ささいな違いにこだわり、どんなことを知りえないかという問題に関して議論しあっているだけではないか」と思いがちなこと」
(バートランド・ラッセル『哲学入門』 高村訳、ちくま学芸文庫/186ページ)


・・・ということだけになってしまうのでしょうか。

(つづく)


*Written by A.KOBAYASHI